森 | 可行(?-1571) |
森可成・可政の父。人物
●人名
/ 森 越後守 可行 (もり えちごのかみ
よしゆき) 幼名/小太郎
●出身 /美濃国羽栗
●生没年
/ 不明−元亀2年5月12日
●法名
/ 前越州太守悟浄紹徹禅定門
●墓所
/ 兼山可成寺
森可成と森可政の父、すなわち蘭丸にとってはおじいちゃんである。美濃国羽栗郡連台村の住人で、 文武兼備の壮士だったという。当時、美濃は斎藤道三が武威をふるい、あいつは悪逆非道な奴だと思 った可行は密かに、尾張の勝幡城主の織田信秀のところに行って仲良くなったという。この事が本当な ら、非常に勘のいい人だ。 しかし、森家の人間の運命だろうか、武門の家の宿命であろうか、彼の人生は常に身内の死にともなわ れていた。永正9年(1512年)年、少年の頃に祖父、可房が近江で戦死。享禄元年(1528年)には父、可 秀が近江朽木にて戦死。孫の可隆は敦賀に死ぬし、長男・可成は近江坂本で戦死するし。可行本人が 畳の上で死ねたことは本望だっただろうか、元亀2年5月12日、金山城でその生涯を終えました。78歳だ ったという。もっと長生きしていたら、本当に悲惨な思いをしていただろう。 可行についての文献は少ない。何していたのかよくわからない。スペースワールドとかで遊んでいたかも しれない。 肝心の『森家先代実録』に情報を求めても、金山に可行の墓ないじゃん!と、墓の事を延々と述べている (現在の兼山・可成寺にはちゃんとあります。) 京都・大徳寺の真珠庵という寺にご位牌がある、となっていますが、私は確認していません。 奥さんは、丹波和泉守重俊の娘とも青木秀三女ともいう。どっち?息子は可成・可政。 |