木屋宇右衛門正則

森長可の元で、祖父の敵討ちの悲願を達成

人名 / 加木屋宇右衛門正則(かきや うゑもん まさのり)・久蔵正則・(剃髪して)宗徳

出身 /尾張国(おとんの亡命先)

生没年 / 未確認

法名 /未確認

墓所 /未確認 


森家が金山城に入城する以前、ここには烏峰城と呼ばれる城があり、斎藤大納言正義が城主であった。

久々利城主・土岐三河守悪五郎が久々利の館でこの斎藤大納言をだまし討ちしてから、加木屋一族は一心不乱に復讐の道を

たどるのである。実は、この加木屋正則の祖父は、斎藤大納言その人なのである。

烏峰城落城の折、家臣が「亀若」と呼ばれていた斎藤大納言の子息(すなわち正則の父)を密かに落ち延びさせていたのである。

尾張国知多郡加木屋村に身をかくしていた亀若は、元服して加木屋久蔵正次を名乗った。いつかは亡父の恨みを晴らす、その

願いもむなしく、この正次は病になってしまう。2人の子どもに後事を託して無念のうちにこの世を去る。

その子が加木屋正則。そして、その妹は見目麗しい女性であった。

二人は父の遺言に従い、悲願を果たす糸口に金山城主である森長可を見出す。正則は美人の妹を金山城に仕えさせた。ほどなく、

彼女の器量が長可の目にとまり彼女は長可の側室となって、その縁で正則も召抱えられた。

正則は武芸に秀でて数々の武功を立て長可も賞賛していた。本能寺の変の後、岐阜城の織田信孝の人質になっていた長可の弟・

仙千代を救い出す計画があがったときも、長可は「宇右衛門一人共仕れ」と仙千代奪取のお供をさせたほどである。

天正11年、悲願達成の日は転がり込むようにやってきた。いつまでも長可に平伏しない久々利城主・土岐悪五郎との仲が、最悪の

状態になったのである。正則にしてみれば、ビバ!森長可!いいぞやれやれ〜!!!この不和こそ超ラッキーなのだった。

長可は謀をもってこの土岐氏を滅ぼさんと計画した。ニセ仙千代を久々利城へ人質に差出し、ニセの和平を作り出したのである。

そうとも知らぬ悪五郎は喜んでニセ仙千代をもてなした。滅多にないチャンスだ!ご馳走たらふく食べるんだニセ仙千代!

かくして長可は、悪五郎を安心させておきつつ、とうとう彼を自分の居城の金山城に誘い出すことに成功したのである。

正則は、密かに長可の元へ行き、涙ながらに斎藤大納言のあだ討ちをさせて欲しいと頼んだのだった。ここは人情深い長可(味方に

のみ有効)、この一途な男の頼みを聞いてあげられないはずがない。

ついにその日はやって来た。土岐悪五郎は、ニセ仙千代と一緒にのこのこ金山にやってきた。長可は彼にご馳走し夕方近くまで滞在

した。長可に別れを告げた後、搦手の”杉が洞口”に出た時に、正則の登場である。

「われこそ斎藤大納言の嫡孫よ!祖父公の仇を報ずるぞ!」

言わんや向ってきた悪五郎を切りつけ首を討った。ついに長年に及ぶ宿憤をはらした喜びに正則は長可の前で涙にむせんだ。

後年、正則は可児郡石森村に住み、父の名をついで加木屋久蔵正則と名を改める。病気になってからは、剃髪して宗徳と名乗った。


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 忠政が川中島に領地替になっても、正則はついてゆかず、浪人となって可児郡石森村に住み続けた。子孫は

   農民になったという。

■ 土岐悪五郎を招いての酒宴の折、急に長可が「汁物に鹿をつかまつれ。」と言い始めた。お勝手は動揺して、

   まだ煮えていない鹿の汁物をだしてしまい、語り草になったという。

 


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