妙向尼 情報BOX   未整理状態の情報をとりあえずここにつめておこうというページです。順次、解説などをつけて正規のページに差しこむ予定です。 


■『林家覚書』の文中で妙向尼(と、弟の林為忠)に関する記述を要訳(もっと内容を読み込んで、時間を見つけて詳しく書きます。)(2009/04/04更新)
従来知られる話とはずいぶん違った記述もありますが、妙向尼の年齢などは、子供の出産年齢などを考えるとこちらのほうが適切な気がします。

*林家は本当は森家。森可秀(可成の祖父)の弟・新右衛門(妙向尼の父)が(養子に行って?)林家を名乗り始め、苗木に居住。
*妙向尼と林為忠は美濃国苗木生まれ。妙向尼は天文5年生まれで慶長元年8月2日に61歳で逝去。
*林家一家は全員が浄土真宗信仰に熱心。
*林家は斎藤家に仕えていたけれど、濃姫が織田家に輿入れしたときにつき従って織田家の元へ。その時、信長の仲介で森可成と妙向尼が結婚した。
*妙向尼の生んだのは男子6人女子2人(鴻野さま、梅さま)。(でも、他の箇所では女子4人と書いてある。)
*[石山本願寺との和睦] 本願寺の使者(和睦の仲介をお願する)が、密かに金山にやって来て妙向尼と対面している。
*[石山本願寺との和睦] 石山本願寺との和睦工作は、林為忠と森蘭丸の二人で行なった。
*[石山本願寺との和睦] 本願寺はこのご恩を忘れまいと、袈裟に"舞鶴に抱え牡丹"の紋をつけた。
*林為忠は見た!「秀吉はやっぱり六本指だった!」


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