●●●●●●森 坊丸 長隆(1566-1582)●●●●●●●●
● もり ぼうまる ながたか ● 合戦 / 本能寺の変 ● 命日 / 天正10年(1582年)6月2日 ● 法名 / 瑞桂院殿夏山清涼信士(可成寺) 祐月宗春信士(阿弥陀寺) ● 墓所 / 京都阿弥陀寺・美濃可成寺 森坊丸長隆。蘭丸の一つ違いの弟。同じく信長公にお仕えした。 |
●●●●●●●●森力丸 長氏(1567-1582)●●●●●●
● もり りきまる ながうじ ● 合戦 / 本能寺の変 ● 命日 / 天正10年(1582年)6月2日 ● 法名 / 花月宗泉信士(阿弥陀寺)・瑞桂院殿法運宗心信士(可成寺) ● 墓所 / 京都阿弥陀寺・京都大徳寺三玄院・美濃可成寺 蘭丸の二番目の弟。森力丸長氏。蘭丸坊丸と同じく殿に仕える。ただ、 力丸は4男の上16歳で亡くなったものだから、どういう人物だったか資 料にも物語にも出てこない。兄弟みんな頭が良く、はっとするようなき れいな顔立ちだったそうですが、、。力丸クンが兄と外れて特別に出て 来るのは、弟の仙千代(忠政)が(岡山県)津山に移った時建立した妙 願寺の山号、それが力丸クンの法名「法雲宗心居士」の一部をとって法 雲山となっている。母が、一番年若くして討死にした彼を哀れに思っ ていたのか、忠政が一番年近く可愛がってくれた兄を思って名づけた か、今となってはその思いは何によるものか想像することしかできない。 本能寺では四方田孫兵衛に討ち取られた。一方、『金山記』という本で は、戦いで甚だしく傷を負ってしまった力丸クンが、もうこれ以上戦えない のを悟ってお兄ちゃんの坊丸クンのとこまで行って、兄弟二人同じ所で切 腹するという切ないシーンは哀れを誘う。 |